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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)4156号 判決 1975年3月24日

原告

新田ちか

右訴訟代理人

露木茂

被告

右代表者

田中伊三次

右訴訟指定代理人

遠藤きみ

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙目録記載の土地を金五〇九円で売渡す旨の意思表示をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  被告は昭和二二年一二月二日、自作農創設特別措置法(以下自創法という。)三条により原告から、その所有の別紙目録記載の土地(以下、本件土地という。)を金五〇八円八〇銭で買収した。

2  しかし、その後本件土地は自創法による売渡がなされないまま、買収以前からの小作人である大廐武一郎に引続き貸付けられ、農林大臣は農地法七八条一項による管理をなし、同条二項によりその権限の一部を東京都知事に行わせていたものであるところ、右大廐は昭和三七年被告に無断で本件土地を訴外趙武祖及び趙光玉に転貸し、右趙両名は同年三月、本件土地上に鉄筋コンクリート・ブロック造陸屋根三階建事務所工場兼居宅一棟ほか二棟の堅固な建物を建築し、以後本件土地を宅地として使用し、現在に至つている。

3(一)  右2の事実によれば、遅くとも昭和三七年三月には本件土地は自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供することは不可能となり、ひいて右目的に供しないことを相当とする事実が客観的に生じたものであるから、そのころ原告は被告に対し、昭和四六年四月二六日法律第五〇号による改正前の農地法(以下、改正前の農地法という。)八〇条一項、二項により、本件土地をその買収の対価に相当する額(小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により五〇九円となる。)を売払対価とする具体的売払請求権を取得するに至つた。

(二)  そこで原告は、昭和四五年三月二三日付で、東京都杉並区農業委員会及び東京都知事を通じ被告に対し、右売払請求の意思表示をなし、この意思表示はそのころ到達したが、被告はこれに応じない。

(三)  ところでその後昭和四六年三月二九日に制定、同年五月二五日施行された「国有農地等の売払いに関する特別措置法」(以下特別措置法という。)二条、同年同月二二日制定・施行の同法施行令一条、同法附則二項によれば、原告は右(一)記載の買収の対価と同額をもつてする売払請求権を喪失することになる。

(四)  しかし、右特別措置法及び同法施行令は次のとおり憲法に違反し無効である。

(1) 憲法二九条違反について

(イ) 前記3の(一)のとおり原告は被告に対し、昭和三七年三月ころ既に本件土地を買収対価相当額である金五〇九円で売払を受ける具体的権利を取得し、かつ、前記3の(二)のとおりその権利行使をしたものであるところ、前記3の(三)のとおり、特別措置法二条、同法附則二項、同法施行令一条によるときは、右具体的売払請求権を喪失し、売払対価は時価に一〇分の七を乗じて算出される額とされることとなるが、かかる売払対価の増額は、被告が原告の有する右具体的売払請求権なる財産権を奪うことに帰し、憲法二九条に違反し無効である。

(ロ) 憲法二九条二項との関係について言及するに国有農地の売払の対価に関する特別措置法、同法施行令の規定は、国とその買収前の所有者又はその一般承継人(以下、旧所有者等という。)の権利関係を規定したものであつて、特別措置法による改正は財産権の内容を公共の福祉に適合するように定めるものではなく、旧所有者等の有する右具体的売払請求権なる財産権を何らの補償をせず剥奪し、これにより国自らの利益をはかるにすぎないものであるから右改正法は憲法二九条二項による立法とは性質を異にする。

(ハ) なお、改正前の農地法八〇条二項によれば、被告が旧所有者等に買収対価に相当する額で売払うべきこととなり、右買収対価と時価との間には懸隔が存するものの、そもそも被告は本来買収すべきではない農地を自由な市場の取引価格に比して安価に買収したものであるから、この買収処分のなかつた状態に戻すのは合理的な処置であり、旧所有者等において買収対価相当額で売払を受けても買収されるべきではなかつた本来の状態に復帰するにすぎず、この間不当と目すべきものはない筋合である。

(2) 憲法一四条違反について

特別措置法及び同法施行令は、その施行の日である昭和四六年五月二五日前に売払の請求がなされ、被告の承諾があつたものについては適用されないが、一方、本件のように同日前に売払請求の意思表示がなされ、かつ、前記のとおり、この売払請求権の行使に先立ち古く農地法八〇条一項所定の目的に供しない事実が客観的に生じており、右売払請求の意思表示に即応して被告において承諾すべきであつたのに承諾がなされなかつた事案については適用される規定になつているところ、(特別措置法附則二項)右法令の施行前に具体的売払請求権を有し、かつ、その行使がなされたという本質的な点で同一である売払請求につき、被告のなす売払時期(すなわち承諾時期)という被告側の事情によつて斯法適用の結果を別異にわかち、本件の如き事案ではその売払請求権者たる原告が著しい不利益の甘受を強いられることになるが、右のような差別的取扱を招来するに至る右規定は法の下の平等を規定した憲法一四条に違反し無効である。

4  仮に、3の主張が認められないとしても、本件土地は、改正前の農地法施行令一六条四号に該当し、遅くとも昭和四五年一二月末日迄には原告に売払われるべきものであつた。すなわち

(一) 改正前の農地法八〇条による国有農地の売払は、買受申込がなされた日から通常四か月以内に行われていたところ、東京都杉並区農業委員会及び東京都知事は、原告の買受申込を受理する以前から、本件土地が自作農の創設等の目的に供し得ない状況であることを了知していたので原告による買受申込をうけるや、東京都知事は売払義務の存在を認め、直ちに売払手続を開始した。

(二) 原告は昭和四五年三月二八日、東京都知事の要望に従い、被告が隣地権利者(隣地も国有農地なので、旧所有者等を意味する。)との間で、本件土地の境界を確定することを承認し、かつ、本件土地の管理に関し損害賠償請求権を放棄する旨の誓約書を農林大臣宛に提出した。(このころ東京都係員の言によれば同年八ないし九月ころには売払いになる予定であつた。)

(三) その後、原告は昭和四五年九月初旬ころ、東京都知事の要望に応え、杉並区農業委員会所持の図面に基づき売払を受けることを承諾し、隣地の旧所有者等から境界に関する異議等が出された場合には、原告において解決し、被告及び東京都知事には一切迷惑をかけない旨の誓約書を農林大臣宛に提出した。

(四) 他方被告、大廐間の本件土地に関する賃貸借契約は、昭和四五年八月一七日付杉並区農業委員会の解約許可及び同年一〇月一四日付東京都知事による農地法二〇条の解約許可がなされたため、同月末日付で解除された。

以上の手続の経過に鑑みると東京都知事は農林大臣に対し、右解除のなされた昭和四五年一〇月末日の時点において売払の進達をなし得たものであり、かつ、これをなすべきであつたというべく、されば、遅くとも同年二月末日迄に本件土地の売払がなされた筈である。

従つて、仮に国有農地の売払価額が売払をなすべき時点における法定価額によると解したとしても、本件土地は、金五〇九円で売払われるべきものである。

よつて、原告は被告に対し請求の趣旨記載の意思表示をなすことを求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、大廐が趙らに本件土地を転貸したことは不知、その余の事実は認める。

3  同3(一)の事実のうち、本件土地が自作農の創設または土地の農業上の利用の増進の目的に供することができないこと、改正前の農地法八〇条二項にいう「買収の対価に相当する額」が、金五〇九円となることは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(二)の事実は認める。

同3(三)を認める。

4  同3(四)の主張は争う。

(一) 憲法二九条との関係について

(1) 改正前の農地法八〇条二項による売払は、私法上の売買であるから、その売買価額が法定されている場合には売買契約成立時における、その法定価額によるべきであつて、特別措置法の施行前に改正前の農地法八〇条二項の規定により旧所有者等から買受けの申込があり、同法施行後に農林大臣が承諾して、売買契約が成立した場合についていえば、特別措置法及び同法施行令が適用されるため、その売買価額も、これら法令の定めるところによるべきこととなる。それ故原告は本件土地を金五〇九円で、被告から買受ける具体的権利を取得していないから、ひいて侵奪されるべき財産権を有していない理である。

(2) 仮に、旧所有者等において特別措置法施行前に、本件土地についての売払請求権が客観的に発生していたとしても、その当時における法定の売払価額(すなわち買収対価相当額)で売払を受けることができるとの期待は、事実上のものであつて、法律上その売払が右価額によらなければならないとする意の法律上の地位ないし権利を具体的に取得したものと解することはできない。すなわち、自創法による買収農地の旧所有者等に売払請求権を認めるか否かはもとより、売払対価を幾何に定めるかは専ら立法政策の問題である。また被告は、自創法三条の規定に従い、被買収者に対し、正当な補償の下に買収農地の所有権を充全かつ確定的に取得したものであるから、自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする客観的事実が発生したとしても買収農地を旧所有者等に売払うべき旨の義務(付款等による)または拘束もしくは制限を受けないところである。ただ自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認めることとなつた農地については旧所有者等の感情を尊重し、旧所有者等に対し、当該農地につき売払を受ける機会を優先的に認め、しかもいわゆる農地改革施行後まもない当時にあつては、その売払価額も買収対価に相当する価額とするのが立法政策上妥当であるとして改正前の農地法八〇条二項の規定が設けられたものである。されば、法律が立法政策上の要請から、右規定を変更することも当然許されるべく、爾後における土地価格の著しい昂騰等社会、経済事情の変動に鑑み特別措置法及び同法施行令が制定され、売払対価を時価の一〇分の七に相当する額によるべきものとして右不均衡を是正する措置が講じられたものである。

よつて特別措置法二条及び同法施行令一条は、憲法二九条に違反するものではない。

(二) 憲法一四条との関係について

買収農地の売払は私法上の売買であるから、その売買価額は右売払なる契約成立時を基準に定めらるべく、その価額をいかに定めるかは、専ら立法政策の問題である。かくて自創法はこの点に関する規定を設けていず、また改正前の農地法においては、その価額を買収対価相当額とするのが立法政策上妥当であるとして同法八〇条二項の規定が設けられたものであるところ、さらに、その後の経済事情の変動に相応し必要な修正を加えることが立法政策上妥当であるとして特別措置法が制定され、右の価額が改正されるに至つたことは前述(二)のとおりである。従つて、特別措置法が同法附則二項において、同三項の場合を除き、同法施行後に売払いを受けたものについて適用する旨規定し、同法施行前に売払請求権の生じたものについても特別措置法が遡及適用されることとなり、売払の時期如何によつて価額に差異が生ずることになつたとしても、何ら憲法一四条に違反するものではない。

5(一)  請求原因4(一)ないし(四)の事実のうち、改正前の農地法八〇条による国有農地の売払は、買受申込がなされた日から通常約四か月以内に行われていたこと、原告が昭和四五年三月二三日、買受申込書を提出したこと、原告が同月二八日、同年一一月二〇日に、それぞれ原告が主張する内容の誓約書を農林大臣宛に提出したこと、被告・大廐間の賃貸借契約が原告主張の解約許可を経て、同年一〇月末日付で解除されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  本件土地は改正前の農地法施行令一六条四号に該当し、遅くとも昭和四五年一二月末日までには原告に対し売払われるべきものであるとの主張は争う。

(1) 本件土地は、杉並区成田東四丁目八七番地、同八八番地の各国有農地に隣接しているが、その境界は判然とせず、右三筆の土地にまたがつて数棟の建物が建築されているところから、本件土地を原告に売払うためには右境界を確定するための諸手続が必要であつた。

(2) 東京都知事は昭和四一年七月ころ、本件土地の無断転用者訴外斉藤キヨらに対し、正規の手続により、本件土地を被告から借受けるよう説明し、また同四二年ころには同趙武祖に対し、無断転用時からの使用損害金の支払、及び本件土地の明渡を求めるとともに、土地の使用を継続したい場合には、所定の手続をとるよう説明したが趙はこれに応じなかつたため、その後も同四五年四月、一二月、同四六年二月と同様の折衝を重ねたが、いずれも不調に終わつた。しかし、東京都知事は同四六年二月趙武祖との最終的折衝が不調に帰するまで、無断転用者との間で、適正な法律関係形成のための努力を続けていた。

以上のような次第で、昭和四五年一〇月三一日の時点においては、未だ境界確定の問題、右趙に対する転用貸付の問題が全く未解決であつたのであるから、東京都知事が被告に対し本件土地の売払の進達をなす要件は未だ充足せず、遅くとも昭和四五年一二月末日までには本件土地の売払がなされた筈であるとは到底云えず、本件土地が、改正前の農地法施行令一六条四号に該当しない土地であることは明らかである。

第三  証拠<略>

理由

一被告が昭和二二年一二月二日、自創法三条により原告から、その所有の本件土地を金五〇八円八〇銭で買収したこと、しかしその後本件土地は同法による売渡のないまま、買収以前からの小作人大廐武一郎に引続き貸付けられていたこと、本件土地の管理は農林大臣がなしていたが、その権限の一部を東京都知事に行わせていたこと、趙武祖及び趙光玉が昭和三七年三月、本件土地上に鉄筋コンクリート・ブロック造陸屋根三階建事務所工場兼居宅一棟ほか二棟の堅固な建物を建築し、以後本件土地を宅地として使用し、現在に至つていること、そこで原告は、改正前の農地法八〇条一項、二項により、本件土地を買収対価に相当する金額(小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により五〇九円となる。)で売払請求をなす権利を有するとして、昭和四五年三月二三日付で東京都杉並区農業委員会及び東京都知事を通じ被告に対し、右売払請求の意思表示をし、この意思表示はそのころ到達したが、被告はこれに応じないこと、ところが右意思表示後に制定、施行された特別措置法二条、同法施行令一条、同法附則二項によれば、原告は前記買収価額による売払請求権を喪失することになることは、いずれも当事者間に争いがない。

二原告は、特別措置法二条及び同法施行令一条の規定が憲法二九条に違反し無効である旨主張するので、この点について判断する。

(一)  改正前の農地法八〇条の規定は、当該土地が買収農地である限り、右土地が自作農の創設または土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当とする事実が客観的に生じた場合には、右土地の旧所有者等は、同法一条一項に基づく農林大臣の認定の有無に拘らず、当該土地を買収対価に相当する価額で国に対し売払を求める権利を取得すると解するのが相当であるから、原告は前記一で認定した事実により、昭和三七年三月には、既に本件土地について買収対価に相当する価額で売払を求める権利を取得した筋合である。(なお、被告は、右売払対価が買収対価相当額であるとの点は、旧所有者等の単なる事実上の期待に過ぎないと主張するが、買収農地を自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が客観的に生じ、買収対価相当額による売払の意思表示をなしたが、被告において応じない場合、旧所有者等は国に対し、当該土地の売払を求める民事訴訟を提起し得ると解するのが相当であるから、右時点において既に具体的売払対価が確定していなければ、右民事訴訟を提起し得ないことに想到すると、被告の右主張は独自の見解と云わねばならない。)

(二)  ところが、特別措置法二条、同法施行令一条によると原告に対する本件土地の売払対価は時価の一〇分の七(成立に争いのない乙第七号証によれば、本件土地についての右価格は二八九七万二八六〇円になる)とされ、金五〇九円で本件土地の売払をうけるとの原告の権利は、事後の立法により、何らの補償を受けることなく剥奪されるに至つたものというべきであるから、右法令の適憲性を検討する。

(1)  国は自創法三条の規定に基づき、農地を買収する際、旧所有者に「正当な補償」を支払つて右農地を取得したのであるから、被買収者は何らの損失を受けていないこと、しかも自創法による農地買収は前近代的な寄生地主的所有制を新憲法の趣旨に即応して改革することを目的として行われたものであることからすると、買収農地が自作農の創設等の目的に供しないことが相当であると認めるべき事態になつたとしても、当然にこれを旧所有者等に返還しなければならないことが右憲法上の要請であるとは必ずしも解するのは相当ではない。

(2)  しかし、右農地買収は、自作農の創設等という特定の行政目的のために、旧所有者の意思いかんに拘らず、対価をもつてするものの、強制的にその所有権を転得する作用であるから、右買収目的が消滅したとき、旧所有者等の意思を尊重し旧所有者等にこの権利回復を認めることは、立法政策上妥当な措置というべきであつて、改正前の農地法八〇条所定の買収農地売払制度はこの趣旨から設けられたもので、しかも自創法による、いわゆる農地改革後さほど時を経ていない右法律施行当時においては、買収対価相当額による売払も、立法政策上妥当な措置として是認できるところである。

(3)  ところが、地価の著しく昂騰した今日の経済事情の下においても、なお二〇数年前の買収対価相当額なる価額で国有農地を売払うことは、一般の土地売買取引に比し、余りに均衡を失するものであることは自明というべく、改正前の農地法八〇条の規定を、そのまま存置させることは、明らかに不合理というべきである。されば立法政策上の考慮に基づき特別措置法二条、同法施行令一条の規定が設けられたものと解すべく、右規定は買収農地売払制度の趣旨を没却せず、前記経済事情の変動に即応させるために、売払対価を適正な額にまで引き上げ、もつて国有財産たる買収農地の売却処分による適正対価を国の収入として得させるものであつて、国有財産の適正価処分との原理と、自創法所期目的の爾後的不達成の事実下における旧所有者等に対する強制的収用の残効の寛解なる行政的目的との調整として、合理的であると解される。

従つて、憲法二九条違反に関する原告の主張は理由がないことに帰する。

三次に、原告は特別措置法二条、同法施行令一条、同法附則二項が憲法一四条に違反し無効であると主張するので、右点について判断する。

(一)  なるほど、本件原告のように、右法令の制定施行前に売払請求をなしたにも拘らず、特別措置法附則二項が適用される結果、右法令に基づく対価による買収農地の売払を受けなければならなくなつた旧所有者等と、既に改正前の農地法八〇条に基づく売払対価による売払を受けた旧所有者等との間には、売払対価に関して極端な差異を生じ、その経済上の利益に不均衝を招来することは明らかであるが憲法一四条にいう法の下の平等とは、各人を絶対的に平等に取扱うことを要請するものではなく、同条に列挙する事由等に基づいて不合理な理由による差別をしてはならないことをその内容とするものと解すべきであるから、法令改正の結果、生活環境等の与件を略同じくしながら、必ずしも同一の法的取扱を受け得ない事態が生ずるに至つたとしても、右法律改正が合理的な理由に基づいてなされた以上、右改正によつて不利益をうけるものがあつたとしても、それは法の下の平等の趣旨に反しないものと云わねばならない。(この場合、精査すると、時間の経過によつて、厳密な意味では与件が既に同一ではなくなつていることが大多数事例であることをも想起すべきである。)従つて、本件のように改正前の農地法八〇条が改正され、新たに制定された特別措置法二条、同法施行令一条の立法措置が、前述した通りその合理性を肯認できる以上、右改正の結果原告のように経済上の不利益を蒙るに至る仕儀を余儀なくされるものがあつても右法令が憲法一四条に違反する無効な法令とは云えないから原告のこの主張も失当と云わねばならない。

四原告は、本件土地の売払は遅くとも昭和四五年一二月末日までになされた筈であるから、被告は本件土地を金五〇九円で売払うべきであると主張するので、右点について判断する。

1  権利は、権利者の個人的利益保護のためのみならず、社会共同生活全体の向上発展のために認められたものであるから、権利者は、その権利を誠実に行使すべく、不誠実な行使が濫用となるのと同じく、不誠実な不行使もまた法の保護を求めるに由ないものというべく、かかる場合の効果は、正当な権利行使があつたと同様の法律効果を認めるのが相当であり、他方、被告は改正前の農地法八〇条一項により、買収農地の売払権限を有するものの、同条二項によれば、右農地を自作農の創設等の目的に供しないことが相当であるという事実が客観的に存する場合、買収農地を旧所有者等に売払わねばならないとの拘束をうけるのであるから、被告は速かに同条一項所定の認定をなすべき職責を有するものと云うべきであるから、右認定をなすのに必要と考える期間を被告が正当な理由なく著しく逸脱し、これにより買収農地売払の請求をなした旧所有者等において、売払がなされて然るべきだとの信頼を合理的に醸成させるに至つた期間を経過したときは、売払をなしたと同様の法律効果を認めるべきである。

2  そこで、東京都知事が、被告に対し、本件土地の売払進達手続をなすまでの経過について考察する。

(一)  昭和四五年三月二三日以前の経過

<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 東京都農林部農地課は、本件土地を含む国有農地の管理事務等を掌理していたところ、会計検査院が昭和四一年七月ころ本件土地につき実地検査を行つた結果、本件土地は大廐武一郎に農耕貸付されているにも拘らず、その地上に、鉄筋コンクリート・ブロック造陸屋根三階建の前記認定の建物が築造されている事実及び本件土地は東京都杉並区成田東四丁目八七番、八八番の国有農地と接しているが、右三筆の土地上に、右建物のほか数棟の建物がまたがつて存在するため、その境界が不分明であつたことが判明した。

(2) 会計検査院は、東京都知事に対し、土地境界を明らかにせよとの指示を与えたので、同都は昭和四二年三月二四日、土地家屋調査士訴外栗原定雄作成にかかる実測平面図(以下、本件図面という。)を完成し、検査指摘事項は一応是正されたものとして処理したが、右実測の際、本件土地及び隣接国有農地の旧所有者等を立会せていなかつた。

(3) また、東京都知事は前記検査により判明した無断転用事実を調査したところ、趙武祖が大廐から耕作権の譲渡をうけて、本件土地及び隣接地上に前記建物等を築造している事実が明らかになつたので、昭和四一年暮或いは翌年四月ころ趙武祖に対し無断転用時からの使用損害金の支払及び農地法施行規則上の転用貸付を受ける手続等の説明をし、適正な法律関係形成のための折衝を行つた。

(二)  昭和四五年三月二三日以後の経過

<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

(1) 原告が昭和四五年三月二三日、東京都杉並区農業委員会及び東京都知事を通じ、被告に買収農地売払請求の意思表示をしたことは前記認定のとおりであるが、その二、三日後に原告代理人弁護士訴外露木茂は、同都係官から右添付書類の不備についての指摘をうけ、同係官の指示に基づき「(1)被告が隣地権利者との間で本件土地の境界を確定することを承認し、一切異議を申出ないこと。(2)被告に対して、本件土地の管理に関し、損害賠償其の他一切の請求をしないこと。」との内容の誓約書を同月二八日杉並区農業委員会に提出したところ、同委員会は原告の本件土地買受申込書に右誓約書を添付して同月三〇日付で東京都知事宛に通達をした(右事実のうち、都係官の指示に基づいて誓約書を作成した点を除いては、当事者間に争いがない。)。

(2) 東京都知事は、本件土地の売払につき、無断転用財産に関する昭和三八年八月一六日付農林事務次官通達(三八農地B第二九六二号(農))に基づき、本件土地の境界につき利害関係人間の調整をなし、無断転用の処理を行い、かつ、原告と無断転用者との間で必要な法律関係を形成することを目的として手続を進める方針を策定した。

(3) 本件土地の境界の件について

都係官は、前記露木弁護士に前記(1)の指摘をした際、土地境界については、本件図面に基づいて確定するが隣接地の旧所有者である相沢某より異議が出ると困るので、同人の同意を得る予定であると説明したが、右相沢の件について、何ら処置をとらなかつたため、露木弁護士は、昭和四五年七月二〇日ころ、相沢某より本件図面に基づく境界に異議がない旨の了解をとり、その旨の確認書を自ら貰いうける旨を同都に連絡し、右折衝に当つたが、右相沢は既に死亡する等して、はかばかしく進展せず右了解をとりつけることは困難な事情の下にあつた。しかるところ、被告、大廐間の本件土地に関する賃貸借契約が同年八月一七日杉並区農業委員会の解約許可及び同年一〇月一四日東京都知事による農地法二〇条の解約許可がなされたため、同月末日付で解除された(以上の事実は当事者間に争いがない。)ところから、露木弁護士は、隣接地の旧所有者等を煩わせることなく境界の件を処理するためその発案に基づき本件土地の買受け後、隣地の旧所有者等から被告又は東京都若くは原告宛に本件土地と隣地との境界に関する異議又は境界確定に基因する損害賠償其他諸請求がなされた場合には、原告の責任及び負担に於て解決し、被告及び東京都に対しては一切迷惑をかけない旨の誓約書を同年一一月二〇日付で被告宛に提出した(原告が右内容の誓約書を提出したことは当事者間に争いがない。)。これにより境界の件は、右誓約書をもつて一応売払手続に支障がなくなつたものとして処理されることになつた。

(4) 無断転用者に対する折衝について

東京都知事は、趙武祖に対し、損害金の徴収、転用貸付等の折衝を、行つてきたものであることは前記認定のとおりであるが、右買受申込書提出後は売払手続をなすため改めて同人との折衝を重ね、都係官は趙武祖の事務所を訪れ、或いは電話で呼出す等して努力したものの、不在の時が殆んどでようやく、昭和四五年一二月無断転用時からの損害金二〇〇万余円の支払をなすべきこと及びその支払後に転用貸付を行うこと等を説示し得たが、同人は他にも転用者が多数存在することに籍口して損害金の支払請求には応じず、その後都係官は、廐武祖に対し、昭和四五年会計年度末に再度右と同様の申入れを行つたが、同人は損害金を支払つて、転用貸付に応じる様子は窺われなかつた。

(5) 右のような次第で、本件土地の売払手続は、転用貸付を行なつた上で処理することが困難であることが明らかになつたことに加えて、昭和四六年二月一三日農地法施行令一六条が改正され、売払がし易くなつたため、東京都知事は同年三月二四日、本件土地は昭和四一年三月一一日付農林省農地局長通達(四一農地B第一二二三号(農))の2に該当する土地にあたるとして、本件土地の買受申込書に売払調書を添付して被告宛に通達する手続をとつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人一戸弘毅同竹野宏侑の各証言は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  成立に争のない乙第四号証(昭和三八年八月一六日三八農地B第二九六二号(農)農林事務次官通達)によれば、本件土地のような無断転用財産に対する措置は、無断転用者に対して、所有権に基づく妨害排除及び返還請求をなすとともに不法行為に基づく損害賠償請求をするのが通則であるが、当該無断転用行為が、農地法施行令(昭和四六年政令一三号による改正前のもの)一六条各号所定のいずれかに該当し、かつ、農地転用基準に適合すると認められるときは、損害賠償の請求を行つたうえで、無断転用者に農地法施行規則上の転用貸付をなし、もしくは改正前の農地法八〇条により旧所有者に売払ができるとされていたが、その後右取扱が一部改正され、「『農地法施行令第一六条第四号に該当する土地等に係る農地法第八〇条第一項の認定について』の一部改正について」と題する昭和四一年三月一一日・四一農地B第一二二二三号(農)農林事務次官、同農林省農地局長各通達(成立に争いがない乙第五号証の二)によれば、前記取扱によることなく直接改正前の農地法八〇条による売払ができる場合も認められたが、これは例外的措置であつて、証人小松芳雄、同一戸弘毅の各証言によれば、無断転用財産については可及的に転用貸付をしたうえで売払をするのが実務上の取扱であつたことが認められる。

4  そこで右3の取扱と前記2認定事実を併せて考察すると、東京都知事が、本件土地の売払手続をなすに当つて、無断転用の現状に余儀なく即応して転用貸付等をなしたうえ売払をなそうとした方針は妥当であり、右方針に基づいて、無断転用者趙武祖と折衝し、適正な法律関係の形成に努力し、右折衝が不調に終り前記昭和三八年八月一六日付農林事務次官通達に基づく取扱ができなくなることが明らかになるに及んで、例外的措置とされている前記昭和四一年三月一一日付農林省農地局長通達による売払進達をなしたもので、本件土地の売払手続が通常の場合(改正前の農地法八〇条による国有農地の売払手続は、旧所有者が買受申込書を提出してから約四か月程でなされていたことは当事者間に争いがない。)に比して聊か遅延しているのは事実であるが、右遅延には叙上に詳述の事情が介在しているのであるから、合理的理由がないとはいえない次第である。

原告が買受申込書を提出した後において、同都係官が趙武祖と折衝を開始したのは昭和四五年一二月であるが、その以前から同係官は趙と会うための努力を続けており、しかも他に境界確定の件に加えて被告、大廐間の農耕貸付の解約等の案件をも擁していたことを考えると、趙との折衝の時期のみによつて、その折衝そのものが一概に遅延しているとの判断を下すには、いささか躊躇せざるを得ない。

5  上来説示のとおり、都知事の売払進達事務遅延を理由として、本件土地は金五〇九円で売払われるべきものであるとの原告の主張もまた理由がないことに帰する。

五結論

よつて改正前の農地法八〇条所定の売払価額による本件土地の売払を求める原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(薦田茂正 荒川昂 遠山和光)

目録

東京都杉並区成田東四丁目八九番

一 田 七畝七歩

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